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2006年9月30日 (土)

2006年7月8月9月掲示板

2006年7月8月9月の掲示板です。

皆様の「声」をお待ちしております。
(下部「コメント」の文字をクリックいただき、コメント投稿という形で投稿をお願いします。)

内容に関しまして、ASC公式ブログ及びASCメンバーブログにて取り上げさせていただくことがございますこと、ご了承お願いいたします。

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コメント

ずいぶんとリニューアルしましたね!
掲示板としての書き込みはこちらでよいのでしょうか?

ジュリアス・シーザー、始動しているようですね。
楽しみです!

投稿: ばうむ | 2006年7月 4日 (火) 00時47分

ばうむさま、コメントありがとうございます。
リニューアルに関しましては、閲覧しにくいところがありましたら、忌憚のないご意見をお願いいたします。
次回公演に関しましては、メンバーブログで各メンバーの個性それぞれに綴られていきます。
そちらもよろしくお願いいたします。

投稿: 管理人 | 2006年7月 4日 (火) 06時26分

ばうむさん、いつもコメントありがとうございます!
HPもリニューアルして、次の公演に向けて新たな気持ちで勉強中です。
メンバーブログにもぜひ遊びに来てください!

投稿: 野口真由子 | 2006年7月 4日 (火) 18時09分

私にとって欠くべからざる夏の風物詩、
子供のためのシェイクスピア・カンパニーを
生誕の地、東京グローブ座で拝見できて
何よりでした!
ただ、通常のシンプルな山崎演出に比較し、
今年は、ちょっと凝りすぎかな?という
気がしなくもありませんでした....。
『リチャード三世』(私が最も愛する沙翁作品です)は、
登場人物の敵対関係や
歴史的背景を詳述するより、リチャードという男の
生きざまををストレートに
語るだけで十分な気がします.....。
詳細な感想はmy blogに綴っておりますので、
ご興味ある方はこちらを。
    ↓
http://d.hatena.ne.jp/jazzydays/20060715
もっちろん、彩乃木バッキンガムは
絶好調!でしたよ♪

投稿: kayax | 2006年7月31日 (月) 18時05分

彩乃木さん、みなさん、こんにちは。

 やや古い話になりますが、子供のためのシェイクスピア『リチャード三世』、7月15日の昼公演を観ました。いろいろと考えるところがあり、書き込ませていただきます。非常に長い文章(3000字程度)で恐縮ですが、興味がおありの方は最後までお付き合い下さい。

 今回の演出は、リチャード三世という一個人の人物像を掘り下げるというより、リチャードを含めた王家の人々の権力闘争の歴史に焦点が当てられていましたね。観劇後、今まで敬遠していた『ヘンリー六世』三部作を読んでみましたが、第二部の終わりくらいから俄然面白くなって来ました。「それまでのリチャード」の言動に触れた後では、誰かに「リチャードってこんなことをしてたんだよ」と教えたくなります。リチャードに限らず、マーガレットやエドワード四世の人物像にも興味をそそられました。それぞれの身に降りかかる不幸も、元はと言えば自分でまいた種ではないか、と言いたくなります。

 秩序をもたらすかに見えたリッチモンドがリチャードの同類であると示唆する演出は、たいへん興味深いものでした。そのことで思い出した芝居があります。以前パリにいたときに観た、カナダ人劇作家ノルマン・ショーレット(Normand Chaurette)の『王家の女たち(Les Reines)』です(1997年6月3日、ヴィユ=コロンビエ劇場)。残念ながら日本では紹介されていないようですし、『王家の女たち』という日本語題も私が便宜的につけたものです(英語なら The Queens でしょうね)。『リチャード三世』を下敷きにした作品で、舞台は1483年1月20日、雪の降りしきるロンドンです。エドワード四世は瀕死の床にあり、弟のリチャードの影が見え隠れします。実際に舞台に出てくるのは女ばかり六人、いずれも王家の女たちです。すなわち、マーガレット(ヘンリー六世夫人)、ヨーク公未亡人(リチャードたちの母)、エリザベス王妃、イザベル・ネヴィル(クラレンス公夫人、劇中の名前はイザベル・ウォリック)、アン・ネヴィル(リチャード夫人、劇中の名前はアン・ウォリック)、そしてアン・デクスター。このアン・デクスターはシェイクスピアの『リチャード三世』には登場しない人物で、兄のジョージと近親相姦の関係にあったことから、実母のヨーク公未亡人(99歳の禿頭の怪物!)に舌と腕を切られてしまったことになっています。物語はロンドン塔の薄暗い一室で進行し、そこに入れ替わり立ち替わり王家の女たちが現われては対決が繰り広げられるのですが、アン・デクスターだけは一貫して舞台上にあって、一連の出来事に立ち会うという演出でした。この作品に描かれる王家の女たちは、シェイクスピアの造形した人物とはずいぶん異なっていました。アン・ネヴィルも権力欲の虜という設定で、最後の場面で右足だけを木靴で固めて跛行していたところをみると、彼女は夫リチャードの分身という解釈のようです。義母のヨーク公未亡人がこの世の最後の思い出にと、アンが手中に収めた王冠を一時的に貸すように求め、その代償としてアンはエリザベスとエドワードの間に生まれた二人の王子の命を得ます(孫よりも王冠が大事なのです)。全員が舞台から消え、二人の王子の遺骸が入っていると思われる頭陀袋が暗闇の中に照らし出されたところで幕となりました。リチャード以外の人物の野心が渦巻いていたという意味で、今でも印象に残っています。むしろ、観劇当時よりも輪郭が鮮明になって来たような感覚さえ覚えます。

 さて、私は今回の観劇に際して、「リチャード以外の人物の目には、この『リチャード三世』で展開する出来事はどのように映っているのだろうか」というテーマを設定していました。とくにマーガレットとバッキンガムに注目していたのですが、彩乃木さんがバッキンガムを演じておられたので、バッキンガムの言動について質問させて下さい。

 四幕二場で、バッキンガムが王になったリチャードの不興を買いますね。先王エドワードの王子二人を殺せと命じられたとき、バッキンガムは即答を避けていったん下がります。戻って来たバッキンガムは返事を用意して来たはずです。実際「陛下、さきほどお尋ねになられた例の一件、私も十分考えてまいりました」と言っています(白水社版『シェイクスピア全集』第1巻、p.298 以下、引用は同版より)。しかし、リチャードから「あれはもういい」と話を打ち切られてしまうので、その台詞は日の目を見ることはありません。もし、リチャードが「返事を聞かせろ」と言っていたら、バッキンガムは何と答えていたでしょうか(稽古場でそんな練習をすることはないのでしょうか)。原作に書かれておらず、したがって発せられるはずのない台詞としてどんな言葉を用意しているかによって、バッキンガムの人物造形が変わって来そうな気がします。もちろん、リチャードに向かって「引き受けません」ときっぱり言うはずはなく(そのつもりなら一度退出したきり戻って来ないでしょう)、「やります」と言うのでしょうが、ここで重要なのは表面上の言葉ではなく内心です。彩乃木バッキンガムは、これから先リチャード王とどういう付き合い方をするつもりで引き返して来たのでしょうか。

 バッキンガムはリチャードの腹心として行動し、結局は疎まれて破滅します。褒美を求めて体よく追い払われる場面の印象が強いので、どうしてもリチャードの方が一枚も二枚も役者が上だと考えがちですが、バッキンガムもなかなかのしたたか者です。予断を排して最初から読み直してみると、バッキンガムが最初からリチャードを支持していたわけではないことが分かります。バッキンガムが最初に登場するのは一幕三場ですが、ここでは対立から一歩身を引いて、和解の使者としてふるまいます(p.248)。その意味では、ヘースティングズの方が明確に王妃エリザベスの一族と対立関係にあり、リチャードと行動をともにする可能性が高そうに見えます。ところが、二幕一場でクラレンスの死が伝えられ、リチャードがその死を王妃一派の仕業であると示唆すると、バッキンガムは「お供しましょう」(p.266)と言い、これ以後リチャードの意をくんで行動するようになります。クラレンスが処刑され、衝撃を受けた病身のエドワード王の命も風前の灯火となれば、跡を継ぐのはエドワード王子がリチャードです。筋を通して王子の補佐役に徹するか(ヘースティングズのように)、リチャードの野望を叶えてやるか、バッキンガムは一瞬のうちに計算し、自分の進む道を決めたのではないでしょうか。それだけ機を見るに敏な人物なのだと考えられます。バッキンガムほどの者であれば、自分の肩入れがなければ、いかにリチャードといえども王位につくことはできないと見極めていそうです。リチャードを利用して自分が権力の中枢を押さえてやろうというくらいの思惑があってもおかしくはない。そんな気さえします。本心を隠して役者としてふるまえるのは、リチャード(「こうしておれは、昔の芝居の悪役のように、裏に別の意味を込めたことばをあやつるのだ」三幕一場p.275)とバッキンガム(「できますとも、そんな悲劇役者のまねぐらい」三幕五場p.285)だけです。

 そんなバッキンガムが、なぜリチャードが王になったとたんに慎重になったのか。なぜ、王の気に入るような返事でその場を取り繕うことができなかったのか。バッキンガムをめぐる私の最大の疑問です。

 最後まで読んで下さったみなさん、どうもありがとうございました。

投稿: こせき | 2006年7月31日 (月) 19時18分

kayaxさんへ
忌憚のないご感想、本当にありがとうございました。
たくさんの方から好評を博しており、それは本当にありがたいことです。
が、kayaxさんのような率直なご意見は、お褒めの言葉と同等に貴重でありがたいと僕は思っています。
今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
 
小関先生へ
いつもありがとうございます。
バッキンガムの人物像に関しては、まったく僕も同感です。そのように僕が演じられているかどうかは、はなはだ疑問ではありますが。
ご質問の件は、僕のブログのほうにこれから書き込もうと思っています。よろしければご覧になってください。

http://d.hatena.ne.jp/ayanogi/

投稿: ayanogi | 2006年8月 2日 (水) 11時52分

こんにちは。仙台の劇団、シェイクスピア・カンパニーより、
東北版「ハムレット」の東京公演のお知らせをさせていただきます。
シェイクスピアに関心のある方にはお楽しみいただけると思います。
よろしければぜひご来場ください。

 公演名 「破無礼~奥州幕末のハムレット~」
 日時 9月16日(土)18:00、17日(日)13:00、18:00
     ※開場時間は、上記の各30分前です。上演時間は約2時間半。
 場所 六行会ホール(品川区/京急の新馬場駅より徒歩3分)
 チケット 全席指定3000円(学生2500円、ただし受付にて学生証提示)、
当日一律3500円
      ※チケットぴあにて発売中;Pコード370-582
 http://t.pia.co.jp/play.html 

<作品の紹介>
シェイクスピアの「ハムレット」の舞台を幕末の奥州(東北地方)
に置き換えて翻案した作品で、ハムレットの「生か、死か」のテーマと、
薩長を始めとする新政府軍の力で劣勢に追い込まれる東北諸藩の悲哀が
大胆に絡み合う物語です。脚本と演出は劇団主宰である下館和巳
(東北学院大学教授)、イギリスでの修行を重ねながら、
1993年の劇団旗揚げ以来「ロミオとジュリエット」「松島湾の夏の夜の夢」
「温泉旅館のお気に召すまま」など東北地方の歴史風土を背景に
シェイクスピアの作品を次々発表してきました。
台詞は全面的に東北の方言を使います。
2000年の「恐山のマクベス」はイギリスのエジンバラの演劇祭でも
公演し好評を博しました。

詳しい公演と劇団の紹介は、こちらのURLからご覧ください。
http://www.age.ne.jp/x/umi/
問い合わせ先;e-mail; umi@x.age.ne.jp

投稿: シェイクスピア・カンパニー | 2006年8月17日 (木) 17時49分

ていつくしてて。マオウ、いい感じだね。そう言語形成です。アンドロアより、愛を込めて。

投稿: 八段 | 2007年9月 7日 (金) 03時06分

八段 様
公式ブログ「メンバーブログ」にコメントをくれた「友達」さんと、あなたは同一人物ですね。つまり、僕の大学の同期。
「マオウ」は当時の僕のニックネーム、「言語形成」は課題論文、「八段」は卒業公演の演目。
「アンドロア」だけ思い出せない。
だけど、なんだか意味不明のコメントになってるよ~

投稿: 彩乃木崇之 | 2007年9月 9日 (日) 06時22分

初めまして。
shota04sといいます。
僕も、ブログをやっているので、
ぜひ、来て下さい!(^0^)

http://bregum.exblog.jp/

お待ちしております!

投稿: shota04s | 2007年9月26日 (水) 20時18分

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受信: 2006年8月 2日 (水) 20時23分

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